「月の戦士」第6章「惑乱の都」(3) へ拍手をありがとうございました!






ローマ編に入ってから、つい書きすぎて(以下同文)。
前回と同じことを言っています。レノスとセヴァンが楽しそうにしているのが、ついうれしくて、筆が止まりません。
これから、苦難の谷底に突き落とすので(おい)、もう少し長く楽しませてあげたいとも思うのです。
でも、これで、もう一章追加は確定的になってしまいました。文字数制限がないのが、オンノベのいいところですね。プロではこうはいきません。
できる限り早く更新したいと思いますので、気長にお待ちください。


*前司令官の名前をスッラからスーラに修正しました。


ローマ時代の学校

ローマの文化というのは、基本的にはギリシア文化をもとにしたものなので、裕福な家はギリシア人の教育奴隷を持ち、子どもたちの教育を担当させました。そのため、上流階級のローマ人は、ほとんどがギリシア語とラテン語のバイリンガルなのだそうです。
このときに、家にいる奴隷の中にも、主人の子どもと机を並べて勉強することを許される者がいました。成長したときに、主人の子どもをサポートする忠実な存在となれるように、というわけです。ローマにおいては、奴隷とは必ずしも無学な存在ではなく、各国の優秀な人物もたくさん集まっていたのです。


教育奴隷を持つ余裕のない中流以下の家庭の子弟は、蝋板と鉄筆を持って町の私塾に通っていました。
教えるのはやはりギリシア人が多く、教育奴隷から解放されて学校を開く者もいました。場所は、広場(フォルム)の一角や、インスラの列柱廊、空き商店などが利用されていました。こういうわけで、教師というのは、ローマ時代には卑しい職業と思われていました(医者も同じです)


蝋板と鉄筆


「読み書きそろばん」と言えば、江戸時代の寺子屋のことですが、ローマ時代の初等学校も、まさに読み書きそろばんを教わっていました。そろばんはアバクスといい、中国やバビロニア経由で渡来したものだといいます。


ローマのそろばん
ローマ時代のアバクスを復元したものです。


読み書きはたとえば、イソップ寓話やことわざなどを教材にしていました。
学校は午前中で終わり、家に帰ってご飯を食べたあとは、遊びの時間です。彼らはもっぱら、公衆浴場へ行って、運動場で思い切り遊びました。


ほとんどの子どもは十二歳で卒業しますが、ある者は中等教育に進みます。科目は、ギリシア語、歴史、文学。読んだ書物をもとに互いの意見を述べ合うという授業でした。
十七歳で卒業し、それぞれの道に進みます。軍隊に入れるのも十七歳からでした。


ローマ民衆の識字率はかなり高いもので、一説には、十九世紀ヨーロッパに匹敵すると言われています。
時代が下ってローマ帝国が崩壊していくと、ラテン語は一部の聖職者だけのものになってしまいました、街角の学校で子どもたちがラテン語を学んでいた時代からすると、なんとも皮肉なことです。






参考資料:

「ローマ人の物語」(塩野七生)
「古代ローマ人の24時間」(アルベルト・アンジェラ)
「優雅でみだらなポンペイ」(本村凌二)
写真:ウィキペディア

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