frozen name

「オリン」
 声が聞こえる。
「オリン」
 何度も何度も呼びかける、あの声。
「オリン」
 ときに優しく、ときに切なく、ときに熱い。
「オリン」
 甘く儚く、誰よりも自らの半身を恋う、美しい声。



 そんな声に起こされた俺の気分は最悪だった。寝袋に入ったまま身を起こすと、消えかかった焚き火を透かして蒼い光がぼんやりとたゆたっているのが見えた。
「チ……」
 俺は軽く頭を振って眠気を覚ました。もう駄目だ。この声が聞こえ出したらおちおち寝ていることもできやしない。
「オリン」
 声は相変わらず続いている。俺のことなどお構いなしだ。腹立ち紛れに焚き火を踏み消すと、あたりは燐光の冷たい明かりで満たされる。光源は風よけに置いておいた荷物だ。
 上を見上げると澄んだ星が輝いていた。砂漠は空気も清浄だし、光源もないから美しく見えるのだと聞く。天上の光は地上のそれより優しい。
 俺は尻尾にかかった砂を払うと出発の準備を始めた。声は続く。
「オリン」
 俺は荷物を解き、それを自由にした。蒼い刃は冴え冴えと星の光を弾いている。



 世は戦国。
 という程でもないが、それなりに荒れている。俺のような傭兵崩れの無宿者がウロウロしていても暮らしに困らない程度だ。


 各国は血眼になって戦力を求めている。遺跡を掘り返したり怪しげな新技術を開発したり、果てには異界から何かを償還しようとしてみたり。
 そんな中で開発された技術の一つに「晶具」がある。見た目は千差万別だが、宝石が一つくっついていることだけは共通している武具。そのまま使ってももちろん構わないが、その真価は別にある。
 あらかじめ調律しておいた持ち主が名前を宣言して振るえば奇跡を起こす。嵐を呼び、炎を生み、光を顕す。強力なものは国一つを滅ぼしうると言う。
 ありふれた市井のわんころだった俺の人生はその特殊な一つを手に入れたことで倒壊してしまった。
 氷刃。
 他の物と一線を画したこの晶具について文献でそれ以上の情報が語られることはほとんどない。ひとたび振るえば敵が死に、ふたたび振るえば人が死に、みたび振るえば地が死ぬ。それが比喩ではないことを俺は身をもって知っている。俺が初めてこれを振るったとき、町が一つ砕けた。俺が今まで積み上げてきた、長い長い時間と共に。
「オリン」
 氷刃は呼ぶ。それが誰かは知らないが、ただひたすらに。
 この晶具を使う者は突然頭の中に響くその声に悩まされ、遂には命を絶つと聞く。唐突に始まり唐突に終わるこの声は使えば使うほどその頻度を増す。
 まさに呪われた最終兵器。
 こんなろくでもない晶具を抱えたまま、俺は今日まで生きてきた。



「オリン」
 声は始まりと同じで唐突に止んだ。見る見る光を失っていく刃を納め、俺は松明を取り出す。夜の砂漠は静まり返って音もない。昼の灼熱地獄よりはまだ幾分かマシと言えた。
 寒い。俺はぶるっと身を震わせ、松明を少し体の方に引き寄せてまた歩き出した。毛皮の上に何枚も着こんでいるのに砂漠の夜はぬくもりを許してくれない。
「チ……面倒なところだぜ、砂漠ってのは。なあ氷刃」
 ついつい愚痴が漏れる。ずっと一人旅なものだからこうやって自分を整理するのも必要ではある。俺は氷刃相手にやってしまうからいけないのだ。
「だいたいあれだ……わざわざ俺が昼を狙って行こうとした矢先に声とはな。狙っているのか? どうなんだ、氷刃」
 腰に下げた氷刃を軽く叩いても返事はない。遠くの誰かに呼びかける暇があるなら近くの俺と話せ、と口の中で呟く。返事はない。
 その代わり、遠くの砂丘で砂が勢いよく吹きあがった。
「さすが俺。やることが違う」
 もしかして狙われていたのか。迫る砂煙に向かって腰の氷刃を抜き放って青眼に構える。しばらくすると噂通りの黒い甲殻が砂の間に見え隠れするようになった。
 この砂漠には大きなムカデが住んでいる。人を一口で喰うような巨大なヤツが。あんだけでけえと気持ち悪くはないんだな、と語った宿屋の親父が脳裏をよぎった。夜行性なので人間は昼間旅するしかない、とも。大方夜の砂漠を歩く俺の振動を感知したのだろう。
 氷刃を構え、息を吸う。吐く。呼ばう。
「――我が名は……我が名は、オリン」
「オリン!」
 途端、今まで黙っていた氷刃が嬉しげな煌めきを放つ。ちりちりと蒼い粒子を放出するそれを構え、俺は苦い思いを噛み締める。
 この氷刃は特殊な晶具だ。ただ一つの名乗りだけを受け、それ以外のどんな名前も受け付けない。オリン。それは、俺の名前ではない。
「オラッ!」
 氷刃を振り下ろす。刃の先から燐光が飛び散り、それが氷の茨になって砂を這い、敵に迫る。ムカデに命中したのは氷柱の先が赤黒く汚れていることで知れた。
「終わり……ってわけじゃないようだな、氷刃」
「オリン!」
 氷刃は俺の話になど興味はない。自分が創った氷に傷つけられて怒り狂うムカデにも。ヤツは攻撃にも怯まず、氷を乗り越え、体液を撒き散らしながら突進してくる。
 俺は氷刃を構え、もう一度振るう。
「――我が名は、オリン」
「オリン!」
 横薙ぎに振るえば今度は俺の前に氷の壁が出現した。突然の障害物にムカデは激突して悲鳴を上げる。そこでやめておけばいいものを、壁を突き破ってまで突進してきた。ビリビリと肌を打つ殺気に俺の首筋が逆立つ。焦る心を抑え、氷刃を突きの体制で構えて、呼ばう。
「悪いな――我が名は、オリン!」
「オリン!」
 氷刃の声を合図に突き出すと巨大な氷槍が出現してムカデを粉々に粉砕する。しまったと思う間もなくムカデの残骸が俺に降り注いだ。鼻が曲がりそうな悪臭で気を失いかける。次の町でどんな視線が俺を襲うか、想像もしたくない。
「……ま、上出来上出来」
「オリン!」
「俺はオリンじゃない」
「オリン」
 ――そんなこと、知らない。
 そう言いたげな囁きと共に氷刃はその輝きを消した。


 真ん中を打ち抜かれた氷の壁が地響きを上げて倒れる。俺は氷刃を振るって砂を落とし、鞘にしまおうとして、止めた。
 砂漠のあちらこちらで砂が勢いよく吹きあがっているのが見える。いやいやながら首を回すと全方位でそれと同じことが起こっていた。絶望的な状況の割には現実味がない。砂柱の数を数えればムカデが何匹いるのか分かるのだろう。きっと。残念ながら俺は百以上数えられる自信がない。
「ムカデさま一家の歓迎ショー、最後までお楽しみくださいだとよ、氷刃」
 返事はない。氷刃は知らぬ顔で闇に沈んでいる。
「――我が名は」
 氷刃が輝く。
「――我が名は、オリン。その心を力となし、応えよ」
「オリン!」
 氷刃がひときわ大きな輝きを放つ。俺は息を止め、氷刃を振るった。



「風呂だ。風呂風呂。風呂。まず風呂に入るぜ、氷刃」
 さんさんと輝く太陽の元、寒さに震えながら俺は歩く。砂に足を取られていた昨日の方がマシだった、と心から思う。氷の上がこうも滑りやすいものだとは想像もつかなかった。
 昨日まで砂漠だったこの地は氷原へと変化を遂げていた。たったひとふり。それだけで地平線の果てまで氷が覆いつくしてしまった。この日差しならすぐに溶けて元通りになるだろうが、それも俺が横断した後になるだろう。いくらムカデの 数が多かったとはいえ、これはやりすぎだ。
「お前は加減ってものを知らないのかね、氷刃」
 もちろん返事はない。俺は言うこともなくなり、黙って先を急ぐことにした。



「オリン」
 また声が始まった。
「オリン」
 何度も何度も呼びかける、あの声。
「オリン」
 ときに優しく、ときに切なく、ときに熱い。
「オリン」
 甘く儚く、誰よりも自らの半身を恋う、美しい声。
「オリン」
 決して俺の名を呼ぶことのない、氷のように冷たい声。



拍手ありがとうございます。
突発的に書いて投下したら華麗にスルーされた作品。当然ながら獣人もの。主人公は名もなきわんちゃんってことにしておいてください。
わずか10?20分の作品なので文句も出ませんけれど。晶具とか氷刃とかぱっと書いてぱっと出てきたあたり、自分にはけっこうそういう傾向もありなのかもしれません。


書いている間は気がつきませんでしたが、これって立派な厨二病です。
「――我が名はオリン」
とかキめすぎてちょっと笑えます。これが書きたくてこの作品を描いたようなものなので別に構わないのですが。
他の人間を出して「――我が名は●●」合戦させると楽しかったかも。
最初と最後の「オリン」連発はいい加減使いすぎな手法かなと思います。でもこれがないとなんだか苦しいのです。




なんか続編ができそうな雰囲気です。書こうと思えばそれこそ主人公の過去、氷刃を狙う組織、ライバルキャラといろいろネタはあります。ですが、結局のところこの話の主軸はただひとつ、主人公の想い。
「氷刃に自分の名前を呼んでほしい」
なので、最後は主人公がひどい目にあって終わると思われます。これがDCクオリティです。よく考えるとこれも爛れた恋愛かも。




これがアリなのかナシなのかは私より他の人の方が判断しやすいと思われるので任せます。
私的には主人公がおかしくなっている場面を書けるかどうかにかかっているのでナシ。続編が出るならアリ。



mixiで公開していたものをそのままここに出しました。修正しようと思えばいくらでもできますが、こうやって残しておくのも一興ということで。


ご意見、ご感想などありましたらどうぞ。

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