<拍手ありがとうございます。
今回は、彰彦が幸人に初めて幼い体を開かれた場面を番外編として書きました。
悪戯にたゆたう第一幕、11話で、幸人の回想場面のみとしての扱いとなっています。全部で3ページございます。続きが気になられましたら、拍手ボタンをぽち、ぽちと押していただけると幸いです!>






その日、幸人は、ひどく何か思いつめた表情をしていた。あまり年齢の感じさせない異国情緒の美貌は、この時ばかりは少しだけ老けて見えた。彼は仕事から帰るなり、部屋で二人分の布団の準備をしていた彰彦を一瞥してから、黙って文机のほうに向かって腰をおろしてしまった。彰彦は、その疲弊しきった背中に、ためらいがちに「お帰りなさい」と声をかける。こちらからは、もう彼の表情をうかがうことはできなかった。橙色の、絹でつくられた着物の袖をぎゅっと握って、彰彦はただその不穏な空気に身を置くよりほかなかった。なにか、良くない胸騒ぎがする。

「彰彦……」

不意に名を呼ばれて、幼い彰彦ははっと顔をあげた。胸のうちを掻き毟られるような苦しげな声で、幸人は彰彦の名を呼んだ。こちらを静かに、恐ろしいほどの静謐さを湛えた瞳で見つめる幸人は、どこか触れてはいけない狂気さえ感じられる。彼の頬はうっすらと青ざめて、堅く引き結ばれた唇さえ紫がかっていた。瞬間的に感じた恐怖と、彼を救いたい……そんな衝動は同時だった。冷然とした彼の目は、こっちへ来てはいけないと物語っている。こちらを見て、座ったまま彰彦を見上げる幸人のそばに、行ってはいけないとわかっているのに、どうしてか彰彦は歩きだしていた。

「幸人、さま……」

彼の傍まであと一歩、間合いを詰める勇気がなくて、彰彦は立ちすくむ。不安げに彼の名に縋る自分の声は、ぐらぐらと揺れていた。
今なら、引き返せる。今なら……。
幸人は、声にならない声で、そう呟いた。けれど、彰彦には聴こえていたのだ。その、断末魔の幸人の心の叫びが。
手を伸ばせば触れられる。一歩前に踏み出せば、従順にも晒した喉を差し出せる距離。
最後の砦を破ったのは、どちらのほうだったのか。今となっては、それすら覚えてはいない。

ガタン、と激しい音が鳴ったのがやけに遠くで聞こえていた。それが、自分の頭が壁にぶつかった音だと気付いたのは、彼の歯が、彰彦のほっそりとした白い首のあたりに当たっている時だった。

「……イヤだ──ッ、やめて、くださ……」

激しく抵抗しようとも、背後の壁と、頭上でひとつに押さえつけられた両手首は、幼い彰彦の体ではびくともしない。がたんがたんと無理やりに体を動かせば、ただ頭が後ろの壁にぶつかるだけだった。獣のように、彰彦の白く柔らかい喉元にかぶりつき歯型を立てる幸人が、恐ろしい。せつなくて、おそろしかった。
彼の表情が見えない。彼がいま、どんな顔で彰彦の喉元を噛んでいるのか。恐怖と、切なさと、痛みと──。混沌とした世界のなかで、唯一痛覚だけが敏感に彰彦をいたぶっていく。

「どうして、幸人さま……、どうし、て!」

喉の骨を確かめるように、柔らかい唇と鋭い犬歯が、交互に訪れては彰彦の皮膚を辿っていく。声を出すたびに、震える喉元は、今にも噛みちぎられてしまうかというほどに、限界まで歯を立てられている。
じたばたと暴れるのをやめて、大人しくなった彰彦をみて、不意に喉元の痛みが嘘のようになくなった。拘束されていた手も、ゆっくりと離される。行き場を失った、手首に痕のついた自らの両手が、背後の壁に添えられた。それと引き換えに、今度は、ぬるりとした生温かい感触が、喉をつうと這っていく。今起きていることが信じられなかった。彼は、何をしているのだろう。こんなところは、舐めるところではないのに。どうして、こんなことを……。考えても、まったくわからなかった。今までの、あの優しかった幸人がこんなことをするなど、到底信じられはしなかった。
最初はむずむずと痒いような不快感だけだったものが、不意に、ぞくりと背筋を這いあがるような奇妙な感覚に襲われて、彰彦はいよいよ恐ろしくなった。ただ、逃げだしても庇護を受ける場所もない。どこにも居場所のない彰彦の、居場所がなくなろうとしている。信じてもいいのだろうかと、迷う日など一日もなかった。幸人の美麗な顔がゆったりと緩み、彰彦に微笑みかける。あの顔が、忘れられなかった。ぼんやりとおぼろげに彼の表情が浮かんでは、今自分の鎖骨をゆっくりと、舌で辿る幸人に重なっては消えていく。じんわりと、幸人の色素の薄い髪の境界線が歪んで滲んだ。熱い、熱を孕んだ涙が、彰彦の苦しすぎる思いを孕んで、ぽろりと頬を伝う。

貴方しかいないのに──

僕には、貴方しか、いないのに……

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