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一年振りの更新かと思ってたら二年振りらしくて白目剥いてます










▽ 水月苑にお正月の挨拶に行きたい閻魔様の話。 ▽



 書類の山を抱えて上司の執務室まで向かう途中、少し忙しそうに早歩きする同僚とちらほらすれ違う。
 ここ彼岸――是非曲直庁が慌ただしくなるタイミングは、一年に何度か必ず存在する。最も顕著な例を挙げれば此岸(しがん)で多くの死者を伴う災害が起こったときだが、先祖の霊が家族の下へ里帰りするお盆、及び正月もそのひとつに入るだろうと小町は考える。尋常ではない数の先祖霊を管理し、此岸へ送るための手続きをして、船に乗せて、時期が済んだらちゃんと彼岸に戻ってきているか確認して――等々、普段の仕事にそのまま上乗せされる形で様々な作業が増える時期なのだ。
 とりわけ、正月の忙しさといえばなかなかにエグい。上記の内容にもう一発上乗せして、年末年始に関するこれまた様々な作業が雪崩を起こして襲いかかってくるのである。ひとたびこの時期に突入すれば、すなわち仕事の量が右肩上がりで増えていく地獄の日々の始まりと思っていただいてよい。昔と比べれば業務の効率化が進んで多少楽にはなったものの、それでも正月の後半戦ともなれば、デスクワーク組は概ね目が死んでいるのが毎年の風物詩になっていた。
 というわけで、正月の後半戦なのである。
 小町は持ち場である三途の川を離れ、閻魔様こと四季映姫の補佐として書類を届けに行く真っ最中だった。三途の川の船頭が忙しいのは霊を送るときと戻すときなので、それ以外ではデスクワーク組のサポートに回されることも珍しくなかった。中でも小町は映姫と個人的な付き合いもあるせいか、この時期最も多忙な彼女の雑用係を任されている。

「ほんと、四季様もよくやってるよなあ……」

 廊下を進みながらぽつりとつぶやく。雑用係といえば響きは悪いが、要は映姫が手を回すまでもない単純作業を手伝うだけの簡単なお仕事だ。難しいものはすべて映姫が引き受けてくれるし、そもそも彼女は部下ばかり扱き使って自分が楽するような真似をよしとしない。
 閻魔である彼女の激務を思うと、サボり大好きな小町としてはそれだけで気が遠くなってしまいそうになる。
 勤務時間の半分は裁判で霊魂の罪を裁き、もう半分は執務室でデスクワーク、その他必要あらば地獄の視察をしたり世の情勢を学んだり部下の教育をしたり説教したりエトセトラ。それらの普段の業務と両立して正月のあれこれまで片付けねばならぬとなれば、さしもの四季映姫とて一筋縄とはいかず、小町が把握している限り食事のとき、シャワーのとき、そして寝るとき以外はほとんど仕事しかしていない有様だった。
 もしも小町が向こうの立場だったら、一日で綺麗さっぱり失踪する自信がある。
 そんな正月を閻魔になった頃からもう何百年もやり抜いてきているのだから、あの人は本当にすごいと思うのだ。

「四季様ー、入りますよー」

 そうこう思い耽っているうちに、小町は執務室まで戻ってきた。余計な説教をされてもつまらないので、書類の山を片腕で支え、ちゃんとノックをしてから部屋に入る。
 書類の山脈に囲まれてもまったく動じず、黙々机と向き合う映姫がいた。

「追加の書類ですよー。今日はこれで最後です」
「そこに置いてください」

 紙まみれの机の上では『そこ』がどこかわからず、ひとまず小町は目についた空きスペースへ書類を置いた。このえげつない量の山々を間近から見ただけで、小町はなんだか青い空の下で昼寝をしたくなってきた。

「いやー、なんというか……もう言葉も出てこないですね」
「この時期は仕方ありません。これでも随分と楽になった方です」

 機械のような速さで書類を次々片付けながら、映姫は疲れた素振りもなく涼しい口調で答えてみせる。彼女が机に向かい始めてもう三時間ほどになるが、正確無比な手捌きは未だ寸分も乱れることを知らない。本当に機械の動きを見ているみたいだ。

「ほんとすごいですねー四季様。あたいだったら一日で発狂しますよこんなの」
「それはあなたが軟弱すぎるだけです。この程度で音を上げていては閻魔など務まりません」

 小町が軟弱かどうかはさておいて、これくらい当然にこなせなければ閻魔として話にならないのは事実なのだろう。これでもう少し説教を控えめにしてくれれば、心から尊敬できる敏腕上司なのだけれど。
 そんな小町の視線を物ともせず、映姫はあっという間に山をひとつ片付けてしまった。

「こちらは終わりました。持っていってください」
「はーい」

 小町はデスクワークが大嫌いの書類アレルギーである。書面の内容など目を通したところで理解できないとわかっているし、この敏腕上司が自分如きでも気づけるようなつまらないミスをするとも思っていなかった――のだが。

「――あれ? 四季様、これ承認印の場所間違えてません?」
「え?」
「ほら、これ」

 なにをバカな、私がそんなミスするわけないじゃないですか、という目つきを映姫はしている。小町もそう思う。しかし、事実閻魔様の承認印がおかしな場所に押されているのだからどうしようもない。
 山の上から一枚を取って手渡すと、映姫は半信半疑――否、一信九疑、いやゼロ信十疑で眉をひそめながら目を通し、

「……!」

 ここまで一分の隙もなかった『閻魔』としての顔が、はじめて崩れた。映姫は前のめりになって何度も書面の確認を繰り返すも、やがてその指先がぷるぷる震え出して、恥ずかしさと悔しさを交々(こもごも)にじませながら唇を噛んだ。

「こ、こんな初歩的なミス、なんたる不覚……しかも小町に指摘されるなんて……」
「……あの、大変申し上げにくいんですけど、こっちの書類も間違ってます」
「!?」

 書類の山をふんだくられた。血相を変えながら一枚取り、また一枚取り、そのまま凄まじい速度で十枚ほどを確認して、

「――…………」

 ゆるゆると脱力し背もたれに崩れ落ちた映姫へ、小町は苦笑して。

「ちょっと休憩にしましょうか。お茶を淹れますよ」

 天井を仰ぐ映姫は声なき声でひとしきり呻き、やがて観念するように物悲しく答えた。

「……はい」

 珍しい閻魔の失敗をからかうつもりはない。世の中時には弘法だって筆を誤るし、時には猿だって木から落ちるし、時には河童だって川を流れる。
 繰り返される連日の激務に、さすがの閻魔様もお疲れのようだ。



 ○


「やっぱり、自覚はなくてもストレスが溜まってるんじゃないですかー?」

 茶葉がいいお陰なのか、お茶は小町が大雑把に淹れてもなかなか上品な出来だった。味はもちろんのこと香りもしっかりと立っていて、なんだか自分がお茶淹れ達人になったような気分になる。
 ストレス、という単語に映姫は露骨に眉をひそめた。

「そんなことは……ないと思いますが。睡眠もちゃんと取っていますし」
「寝るだけでストレスがぜんぶ吹き飛ぶなら楽なもんですよ。あんなミス普段の四季様なら絶対にしないですし、体が大丈夫でも心が疲れ気味なのかも」

 むう、と映姫は納得しない。その気持ちはわからないでもない。大方認めればまるで仕事が苦痛と言っているかのようで、閻魔として部下に示しがつかないと考えているのだろう。
 なるほど一理はあるものの、さすがに今の状況は例外だと思うのだ。

「無理もないですよ、このところ朝から夜までずっと働き詰めですもん。向こうの部屋なんてみんな目が死んでますし」

 小町は書類仕事ができるほど几帳面でも我慢強くもないので、映姫からは主に筆の要らない細々とした雑事を回されている。労働時間も、まあ、なんだかんだ度が過ぎたところまではいかないよう配慮してもらえている、のだと思う。そうやって小町の負担が軽くなれば、なった分だけ他の誰かの荷が大きくなってくるわけで。
 この場合それが誰であるかを考えると、小町としてもやや負い目を感じずにはおれないのであって。

「今日でも明日でも、一度仕事は早めに切り上げて気分転換してみたらどうです?」

 映姫とて、日頃からやりたい趣味のひとつやふたつはあるだろう。『仕事ばかりでやりたいことがちっともできない』のは、小町の経験上相当ストレスが溜まるものだ。そしてストレスが大きくなれば仕事で本来の力も発揮できなくなり、それが更なるストレスを引き起こし――という悪循環の泥沼に陥ってゆく。小町がしばしば仕事を抜け出して散歩なり昼寝なりに励むのも、ストレスを解消して常に精神的余裕を持ち、ここぞというときに百パーセントの力を発揮できるよう備える自助努力なのである。ただのサボりと侮ってはならない。
 映姫はあいかわらず小難しい顔を解かない。

「そんなわけにはいかないでしょう。私が抜けては業務が回らなくなります」
「一日定時帰りするくらいならリカバリできますよ、私も頑張りますし。それより、このまま無理して万が一さっきみたいなミスを繰り返しちゃう方が問題じゃないですかねえ」
「むっ……」

 答えに詰まるあたり、やはりあのミスは映姫本人にとってもなかなかショックだったようだ。

「つまり小町は、私がさっきのようなミスを繰り返すと?」
「あたいは四季様のことすごい閻魔様だと思ってますけど、あたいと同じ女だとも思ってるので」
「むむっ……」

 映姫も内心危機感は覚えているし、可能ならば休息を取るべきとも感じているはずだ。ならば小町は、こんなときくらいはその背中をそっと押してあげるのである。
 本当に、それくらいの気持ちから出た何気ない発言だったのだ。

「新年の挨拶もできてないことですし、水月苑にでも行ってきたらどうですか?」
「ごぶっ……」

 映姫がお茶を噴き出しかけた。慌てて湯飲みを机に置き、口を押さえて何度か咳き込んでから、

「な、なぜここでその名が出てくるのですか!」
「え……でも、あそこなら四季様もストレス解消になるんじゃ?」
「げふごほ!?」

 小町は首を傾げる。別に変なことは言っていないはずだが、どうして映姫は顔を赤くして取り乱しているのだろう。

「す、ストレス解消になんてなるわけないでしょう!」
「えー? いやいや、別に恥ずかしがることじゃないですよ。四季様も好きでしょう?」

 あそこの温泉。
 彼岸にも大衆向けの入浴施設はいくつかあるものの、幻想郷の雄大な自然の片隅で、風雅な日本屋敷に迎えられ、美しい庭園を眺めながら心ゆくまでリラックスできる水月苑は格別の一言に尽きる。おまけに、あそこでご馳走してもらえる桃がまた憎たらしいほど美味しいのだ。故にストレス解消にはもってこいの小町オススメスポットなのだが、映姫はどういうわけかこみあげる怒りで肩を震わせており、

「好っ……こ、小町ぃ……! 人をからかうのもいい加減にしなさいっ……!」
「いやいやなんでですか!? あたい変なこと言ってます!?」
「言ってます!!」

 執務室の外まで響くくらいの大声で断じる。それから少しトーンダウンして、なにかを隠そうとするような伏し目がちになりながら、映姫は白黒はっきりつかぬ逡巡とともにこう述べるのだった。

「ですからそのっ……な、なぜあの狐に会うのがストレス解消なのですか! まるで私が、あの狐に会いたがってるみたいじゃないですかっ!?」
「…………あー、」

 そして小町は、ぜんぶ、すべて、なにもかも納得した。
 そうか。
 なるほど。
 「水月苑に行ったらどうです?」を、そういう風に受け取っちゃうのかこの人。
 月見の名前なんて、小町はまだ一言も出していないのに。
 映姫と月見がどのような関係かと問われれば、一言で説明するのは難しいし小町も正確なところはわかっていない。映姫本人は性悪狐だの監視対象だのとかたくなに言い張っているが、どうも実際そこまで悪い感情は抱いていないらしいと察する程度だ。
 だって四季様って、水月苑に出掛ける前はなんかそわそわしてるし、戻ってきたあとはだいたいいつも機嫌がいいし。
 その漠然とした推測がここで確信に変わった。性悪狐だの監視対象だのは完全に口先で、映姫は間違いなく月見を友人として認めている。新年の挨拶も兼ねて顔に見に行きたいと、実は前々から考え続けていたのだ。そりゃあストレスも溜まるわけである。

「……えーと、四季様」
「な、なんですか」

 問題は。
 それを指摘すれば絶対雷が落ちるとわかっているものの、状況的に黙っているわけにもいかない点であって。

「あたいはその、水月苑で温泉に入ってきたらいい息抜きになるんじゃないかと、そういう意味で言ったのであって。月見の名前は、あの、一言も出していないといいますか……」
「――……、」

 世にも珍しい、閻魔様のちょっぴり間抜けでかわいらしい表情が見られたことを、小町はせめてもの心の報酬としつつ。

「……小町」
「……はい」
「遺言は」
「まままっ待ってくださいあたい悪くない、悪くないでしょう!? 四季様が一人で勝手に自爆しただけでいやいやほんとにそうじゃないですかだからちょ待っ」

 小町がその日最後に見たのは途方もない弾幕の光と、それを突き抜けて網膜へ焼きつく、閻魔様の貴重な赤面涙目だった。



 ――後日に関していえば。
 結局映姫は、仕事を早めに切り上げて水月苑へ向かった。万が一にも留守で会えなかったなどとならぬよう、事前に遣いを送って都合をつけてもらう徹底ぶりだった。
 それが功を奏したのか、はてさて、水月苑でどんなもてなしを受けたのかは不明だが。
 しばし死神たちの間で、幻想郷から戻ってきた閻魔様がやたらご機嫌に鼻歌を口ずさんでいたと、もっぱらの話題になったそうな。















お読みくださりありがとうございました。
次回更新時には、またブログの方で告知いたします。



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