それは、ある日常の「物語」
(全1種)

「ピクニックに行きましょう」。
アルフレードにそう誘われて断る理由があるはずもなく。
見事に晴れ渡った青空の眩しさを堪能しつつ、
ダイトは待ち合わせ場所の公園の敷地に足を踏み入れた。
と、前方からアルフレードが軽やかな足取りで駆け寄ってくるのが見え、
自然と口端が緩む。

「ダイト先生ー!」

両腕を広げれば、躊躇なくその中に飛び込んでくる。
無邪気で無垢で、晴れ渡った空のように明るく軽快で。
あぁ、こんな姿を見られるようになるとは、と過去の彼がそこに重なる。
ベッドの上で蹲り、俯き、明日のことさえ信じられなかった少年が。
太陽の下で弾けんばかりに笑っている。
ジンと鼻の奥が痛み、目頭が熱くなるのを何とか誤魔化しながら、
ダイトは腕から下ろしたアルフレードの頭をくしゃりと撫でた。
そして、ゆったりとした足取りで近付いてくる男に片手を挙げる。

「よぅ、ハインリヒ」
「どうも、ドクター」
「ピクニックなんて何年振りだろうなぁ。
ははっ、お前さんピクニックバスケットが似合わねぇなぁ!」

大きなバスケットに加え、レジャーシートまで脇に挟んでいる姿を
この男を知る者たちが見ればあんぐりと口を開けて驚くだろうとダイトは豪快に笑った。

諸侯の宮殿や美術館に併設された壮麗な庭園ではなく、
子どもの遊具が整備されたレジャー公園。
夏の盛りにはビアガーデンが開かれ、
冬は公園内の丘を利用したソリ遊びで賑わうことで有名な場所で、
こうして休日になると多くの家族連れが憩う。
オートクチュールのスーツを纏い、最高執行責任者という大仰な肩書きを背負う男からは
最も縁遠い場所のようで。
しかし、ラフな服装で普段は後ろに撫でつけている髪も下ろしているせいか、
年相応よりも幾分か幼く見えるハインリヒは随分と馴染んでいるようにも見える。
それが妙に可笑しく、微笑ましく、ハインリヒの頭もガシガシと撫でた。

「奥の方にちょうど良さそうな場所を見つけたんです、行きましょう」
「アルが張り切ってパニーニを作りましたので、存分に堪能してください」
「それは楽しみだ」

人工的に作られた丘がいくつも並んでいる公園内は隅々まで整備されており、
幼い子どもが笑い声を上げながら走り回っている。
丘を転げ回っている姿もあり、牧歌的な雰囲気故なのか時間がゆったりと流れているように
感じるのは気のせいではないだろう。
自然と足取りも緩やかになり、日常の忙しさを忘れる。

心地良いな、とその空気に身を委ねていたダイトは、
ふと気配を感じてそちらに目を向けた。
サッカーボールが勢いよく飛んでくるのが見え、咄嗟にアルフレードの腕を掴んで引き寄せる。
ハインリヒがそんな自分たちを庇うようにボールに向かって踏み出したのが見えて、
あっと思うが、彼はそのボールを難なく胸で受け止めてしまった。
そして、それを右足でキープアップするハインリヒにアルフレードと声を揃えて感嘆する。

「わぁ!すごい!サッカーできたの!?」
「まぁ、これくらいはな」

子どもでもできる程度だろうとハインリヒは言うが、
チェストコントロールにはタイミングや正しい姿勢が求められる。
そのまま足でボールを制御しながら維持する行為はジャグリングとも呼ばれるが、
技術的なスキルやバランス感覚が必要なのだ。
選手のスキル向上やトレーニングの一環としても行われるほどで、
会話しながらボールを維持し続けているハインリヒにダイトは素直に称賛を送った。

「しかし、このボールは一体どこから?」
「あの丘の向こう側から飛んできたように見えたが…」
「ドクター」
「ん?お!?お、おぉ!?」

ぽん、と軽く蹴り上げられたボールを寸でのところで受け止め、何とか蹴り返す。
それは明後日の方向に飛んで行ってしまったが、ハインリヒは爪先と足の甲を使ってボールを捕え、
体勢を整えてから再度ダイトに向かって蹴り上げた。
その口許は緩く綻んでおり、この応酬を楽しんでいるのが分かる。
子どもっぽい顔もできるのだな、と微笑ましく思いながら、受け取ったそれを返した。
今度は真っ直ぐにハインリヒの元に届き、ポーン、ポーン、と軽やかなラリーが続く。

「なかなかやりますね」
「不意打ちは卑怯だろ。おじさんはもう足が思うように上がらないんだぞ」
「何を言いますか」
「2人ともすごい!こんな特技があったなんて知らなかった!」
「アルもやってみるか?」
「え、無理無理!オレ、ちゃんとサッカーしたことないもん」
「アルフレード、いくぞー」
「え、えー!わ、わわっ!」
「ははっ、ハンドだな」
「うぅ、思わず手で取っちゃった」

悔しそうな、しかし、楽しそうに、両手で掴んでしまったボールを抱えているアルフレードに
ダイトはハインリヒと顔を見合わせて笑う。
そうしていると丘の上からこちらに向かって駆け寄ってくる人の気配がし、
揃って視線を向ければ、申し訳なさそうな父親と子どもと目が合った。
ボールの持ち主か、とダイトがアルフレードに目配せすれば、
彼は子どもの目線に合わせるようにしゃがんでそれを渡した。
ダンケ、と舌足らずに返し、父親に手を引かれながら去って行った背中を見送る。

「先生もサッカー得意だったんですね」
「得意と言えるほどではないなぁ。ハインリヒみたいなキープアップはできん」
「すごいよね!あんなにポンポンって!やっぱりドイツはサッカー大国なんだねぇ。
フルアさんとグラースさんも得意かな?」
「どうだろうな。次はあいつらも呼んでフットサルでもしてみるか」

ほんの数年前までは想像もできなかった、穏やかで優しい休日の時間。
それをじっくりと噛み締め、
ダイトはもう一度アルフレードとハインリヒの頭をぐりぐりと撫でまわした。

「最高の休日だなぁ。お前たちが可愛くて仕方ない」
「先生?ふふ、擽ったいですよ」
「ドクター、首が…首がもげそうなんですが…」
「ははっ!可愛いなぁ!」

されるがままになっている2人の髪がぐしゃぐしゃになった頃、
彼らが見つけたという場所に辿り着き、芝生の上に大判のレジャーシートを広げる。
バスケットの中からアルフレードが水筒を取り出し、
ハインリヒがアルミで包まれたパニーニをそれぞれの前に配る。
随分と手際が良く、これが彼らの日常なのだ、としみじみと思う。
あぁ、あれほど強く願い、心から求めた“あした”がいま目の前に。
どうか、どうかと祈り続けた“未来”がいま目の前に。
これ以上の報いはない、と熱くなる目頭を「太陽が眩しいからだ」と誤魔化して。
両側からせっせと世話を焼く息子たちの温かさを、ダイトは噛み締めた。


*12の記念日*
3月19日「父の日」
キリストの父である聖ジュゼッペの日でもある。

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