「白き花を君に」


 その日、翼は未だ夜も明けきらぬうちから、邪美の家の扉を叩いた。
 特に約束もしていなかったが、彼女が既に起き出して身支度も済んでいるとわかった上でのことで案の定、邪美はすぐに扉を開けた。
「なんだい、こんなに早くから? 手に負えないホラーでも現れたのかい?」
「……違う」
 たとえ本当に自分の手に負えないホラーが出現したとしても、決して手助けなど求めないであろう翼を茶化して言ってみたのだが、彼

は憮然として否定した。
「……少し、付き合ってくれ」
「…………? まあ、今日は暇だからいいよ」
 不思議そうに小首を傾げる邪美が承諾の返事をするや否や、翼はくるりと踵を返すと元来た道を再び歩き出した。
「待ちなよ! ……まったく」
 邪美が小走りで翼に追いつくと、彼はちらりと振り向いてから前に視線を戻した。
「山に入る。ついてこい」
「わかったよ」
 目的地がどこなのかを尋ねることを諦め、少し呆れたように言った邪美に深く頷くと、翼は不意に道の脇に足を踏み入れた。
 そこには人の通った跡もない。獣道すらない。それでも彼らにとっては何の問題もない。
 翼がひらりと身軽に木の枝に飛び上がり、次の枝へと跳び移ってゆくと、邪美もそれに続いた。
(……一体どこに行くんだか)
 しばらく山を登ってゆくと、白々と夜が明け始めて辺りが明るくなってきた。
「翼」
 いい加減焦れて邪美が声を上げた時――
 前を進んでいた翼がひらりと地面に降りたって足を止めた。
「……ここだ」 
 翼の隣に立った邪美は目の前に広がる光景に言葉を失った。
 朝日に輝く白い小さな花々が、辺り一面を覆いつくしていたからだ。
「……これは……?」
 どうにも翼の意図を掴みかねつつも、目の前の清々しくも美しい光景に目を奪われる。
 ちら、と横目で翼を見上げると、彼は何故か耳まで赤くなっているではないか。
「……翼……?」
「……鈴に言われてな。女の子は花が好きなんだとかなんとか……」
(……ははあ。そういうことかい)
 どうやら、兄と邪美との間が一向に進展しないことに焦れた妹が、朴念仁の兄に何やら入れ知恵したらしい。
 しかし、『女は花が好きだ』とアドバイスされて何故こうなるのか?
 普通ならば、大きな花束でもくれるところなのだろうが……。
「……俺は花のことなどわからん。ましてや、お前の好きな花など知らん。――だが、ここの景色は前から美しいと思っていた」
 だから、邪美に見せるために連れてきた。
 そこで『この景色をお前に見せたかった』まで言えたなら上出来なのだが、翼はそれ以上口にできずに黙りこんでしまった。
(……まったく。不器用にもほどがあるってもんだよ)
 でも、そんな朴訥さも嫌いではない。
 じわりと心が暖かくなるようなこそばゆい感覚に、邪美はゆっくりと笑みを浮かべた。
「……あんたの言う通りだ。綺麗だね」
「……ああ」
 軽く翼に寄りかかって身体を預けると、彼は少しだけぎこちなく身動ぎしたが、黙ってそのまま邪美のぬくもりを受け止めた。


 そうして二人は夜が明けきるまで、神々しい朝日に照らされた花々を眺めていたのだった……。






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