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『やまない雨』


※クレフは大人バージョンに置き換えてください。


 最初はクレフがシャワーでも浴びているのかと思った。けれどそれにしては、あまりにも音に乱れがなさすぎる。うっすらと目を開けると、予想に反してクレフは私の隣にいた。彼は薄いラベンダー色のシルクガウンを羽織り、ヘッドボードに背を預けて腿に置いた本を読んでいた。下ろされた前髪が作る陰影が、いつもよりぼやけていた。
 シャワーの音が続いている。ちらりと顔を上げた私は、ようやくそれがシャワーではなく雨の音だと知った。思わずため息をつくと、気がついたクレフが本から顔を上げた。
「どうした?」
 少し掠れた低音とともに、彼の手が下りてくる。そっと頬を滑った指は、視界を遮っていた髪を掬って耳にかけた。ううん、と私は緩くかぶりを振った。
「ついてないなって思っただけ。セフィーロでも雨に当たるなんて」
 クレフがきょとんと瞬く。私は少し笑って、彼の指に自分のそれを絡めた。
「東京は今、梅雨っていって、雨の多い季節なの。雨って憂鬱でしょ。だからせめて、セフィーロに来たときくらいは晴れていてほしかったのよ」
「私は雨も嫌いではないぞ」
「でも、雨だと外に出かけられないじゃない」
「だからいいのではないか」
「え?」
「こうして、おまえを独り占めできる」
 クレフは私の手を持ち上げると、指先に唇を寄せ、小さく音を立たせてキスをした。細められた彼の目に映る自分が赤面しているのが、この距離からでもわかってしまう。私は手を抜き、ゆうべの余韻を残した皺だらけのシーツに包まり、クレフに背を向けた。
「ほんと、調子狂うわ」
「ん?」
「外にいるときと全然違うんだもの。人前じゃ絶対、そんなこと、口が裂けても言わないくせに」
 精いっぱいの強がりの中に隠した、噴き出しそうなほどの羞恥心。どうせクレフは全部お見通しなのだろうけれど、それでも隠そうとする努力だけは認めてほしいと思う。


 くすり、とクレフが笑った声が聞こえた。
「言わないのではなく、言えないのだ」
「え?」
 思わず振り返った私の頬に、クレフの手が触れた。
「おまえのこんな顔を、ほかの者には見せられないからな」
 クレフは意外と独占欲が強い。その独占欲に、私は専ら翻弄されっぱなしだ。少しは私の身にもなって考えてくれたらいいのにと思ってしまうこともある。砂糖菓子のように甘い台詞をまるでプレーンヨーグルトのようにさらりと言うものだから、そのたびに私ばっかりどぎまぎしてしまって、このままじゃ、心臓が何個あっても足りない。
「やっぱり、調子狂うわ」
 普段なら、朝のクレフはもっと仕事モードが強い顔をしているのに、今日は完璧にオフモードになっている。それもこれも、この雨のせいだ。


 ふとクレフが視線を外し、窓の外を見た。
「当分やみそうにないな」と彼は言った。「もう一眠り、しようか」
 読みさしの本をしおりも挟まずパタンと閉じ、サイドテーブルに置くと、クレフは枕の脇に手をついて私を陰の中に入れた。彼のガウンが私の肩口をさらりと撫でる。近づいてくる唇に、けれど私は人差し指を立てた。
「明るすぎて、眠れないわ」
 相好を崩したクレフが、視界の隅で軽く指を動かす。すると部屋の中はあっという間に薄暗がりへと沈んだ。
 外ではシャワーを流すような雨の音が続いている。私に降ってくるのは口づけの雨だ。ガウンの隙間に腕を差し入れ、火照り始めた肌を合わせる。のしかかってくる重みが心地好い。これを人は、「幸せ」と呼ぶのかもしれない。
 その日は結局、夕方まで雨がやむことはなかった。






やまない雨 完




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