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『いたずら』


 ふと違和感を感じたのは、何気なく寝返りを打とうとしたときのことだった。気のせいか、布団が何かに押さえつけられていて自分の体の動きについてこないように感じた。寝ぼけ眼をうっすらと開けて枕の上で首を傾けたクレフは、しかしその瞬間、吹っ飛んだ眠気に飛び起きた。
「……!」
 辛うじて悲鳴を呑み込むことに成功したことについては自画自賛したいところだった。寝起きとは思えないほどの速さで心臓が脈打っている。クレフは自らの胸元にそっと手を当て、何度か意識的に深呼吸をした。そうしてようやく鎮まった心持ちで、改めて状況を確認する。どうやら幻覚でもなんでもないらしい。同じベッドの中で海が、クレフに寄り添うようにして静かに寝息を立てていた。


 咄嗟に軽く布団をめくって海が寝間着を着ていることを確かめてしまったのは、何がどうしてこうなっているのかすぐには理解できなかったからだ。しかし「そのようなこと」があるはずはなく、自らの短絡的な思考に思わず苦笑する。クレフは小さく息を吐き、前髪を掻き上げた。
 海といると、こうして普段ではおよそあり得ないような考えなしなことをしてしまうことが多々ある。もしもそれが本来の自分であるとするならば、普段はかなりの猫を被っているということでもあるし、また同時に、海といるときは素の自分が出てしまうということでもあった。


 ふと顔を上げると、隣の部屋とをつなぐ扉がわずかに開いていることに気づく。隣の部屋といっても、そちら側もクレフの閨の一部だ。普段は一間続きになっているが、ゆうべは急ごしらえの間仕切りで部屋を分割したのだ。扉を開けておいたのはクレフ自身であり、ゆうべクレフが眠るときまでは、海は間仕切りの向こう側にいたはずだった。




「部屋に戻りたくないの」
 海がクレフの部屋を訪れる、それ自体は何ら珍しいことではなかったが、ティーポットが空になり、日がとっぷりと暮れてもなかなか自分の部屋へ戻ろうとしないのは常のことではなかった。どうしたのかとそれとなく問えば、海は気のせいか潤ませた瞳でそんなことを言った。何を言い出すのかと一瞬頭がくらりとしたのは、ここだけの話にしておいてもらいたい。にべもなく部屋へ帰すつもりだったのだが、いや待てよと思い留まりもう一歩踏み込んで理由を訊ねてみれば、海が口にしたのは、果たしてクレフが考えていたような不埒なことではなかった。
「今日ね、昼間にカルディナたちとうっかり怪談話で盛り上がっちゃったのよ。なんだか思い出しただけで怖くて……一人じゃ眠れる気がしないの」
 実はこの部屋へやってくる道すがらも怖かったほどなのだと、海は面映ゆそうに笑って言った。
「今晩だけでいいから、クレフのところに泊めてくれないかしら。部屋に戻っても、光も風もいないと思うの。ね、お願い」


 断る理由などなかった。それならそうと早く言えばいいものを、といろいろな意味で思いながら、クレフは海の「お願い」を聞いてやることにした。そのため閨に間仕切りを作り、いつも眠っている自分のベッドを壁際に寄せ、空いたスペースにもう一つベッドを置いた。「ともに寝るという選択肢もあるぞ」という冗談が喉元まで出かかっていたが、残念ながら今の二人の間柄では冗談で済まされるような言葉ではなかったので、すんでのところで言わずにおいた。


 即席のベッドに横になった海は、最後「ありがとう」とはにかんだ。それから小一時間ほどしてそっと隣を覗いたときは、海は確かに眠っていた。それを確かめてクレフも眠りに就いたのだが、なぜか今、海はクレフと同じベッドで眠っている。いったいいつの間にやってきたのか、まったく覚えがなかった。
 さてどうしたものか、とクレフは小声で唸った。起きるにはまだ早すぎる。しかしこのまま横になったところでとても眠れる気はしなかった。導師といえど、残念ながら聖人君子ではない。正直言って、こうして無防備に眠っている姿を見ているだけでもかなり毒だった。そうとなれば、このベッドは海に譲り、自分がここから離れるしかない。そう決めてクレフは布団からそっと足を抜いた。しかし起き上がろうとしたところで思いがけず後ろに引かれ、軽くつんのめった。
 何事かと振り返り、驚いた。海の手がクレフの袖口をつかんで離そうとしていなかったのだ。


 深い眠りの中にいるはずなのに、海の手の力は存外強く、ちょっとやそっとでは離れそうにもない。つと視線を上へ向けたクレフは、海の目尻に微かにではあるが涙の痕があることに気がついた。そうしてようやく、海がこのベッドへ入ってきた理由を知った。おそらく本当に、一人で寝るのが怖かったのだろう。
「まったく」
 思わず苦笑し、クレフは出したばかりの足を布団の中へと再びしまった。一人でいるのが心細くでこのベッドへやってきたのだとしたら、ここからクレフが離れてしまえば海の安眠を阻害することになるのだろう。それは本意ではなかった。睡眠不足が免れないのは痛いところだが、それよりも海の心の安寧の方が大切だ。クレフは海の肩口まで布団を引き上げてやると、同じ布団の中に自らもそっと潜り込んだ。


 困ったのは、袖をつかまれたままというのが意外にも寝づらいことだ。クレフはダメ元で空いた方の手を海の手に添えてみた。すると思いがけないことが起きた。あれほど強く袖をつかんでいたと思った海の手が、いとも簡単にするりと抜け、クレフの手と絡み合ったのだった。
 思わず寝顔の海を見やる。よほど怖い思いをしたのだろうか。それならば怪談話などしなければいいものを。呆れると同時に、愛おしさが込み上げる。まったく、こういうところは本当に子どもだ。


 だがこぼれ落ちる寝息やほんのりとした色香は、もはや子どもと呼べるようなものではない。寝間着の下からわずかに覗く白い肌を前に、クレフの中に小さないたずら心が芽生えた。こちらとしては安眠を脅かされたのだ、何か詫びをもらっても罰は当たらないだろう。勝手にそう結論づけ、クレフはそっと海の首元に唇を寄せた。
「ん……」
 ほんの一瞬強く吸うと、痛みを感じたのか海が喉の奥で小さく声を上げた。起こしてしまったかと、息を殺してその表情を覗き込む。しかし海の目が開かれることはなかった。小さな身じろぎをしたくらいにして、彼女はまたすぐに眠りの底へと沈んでいった。


 ふっと息をついたクレフの顔に浮かんだのは、安堵ではなく満足の色。海の白磁の首筋に暗闇でもはっきりとわかる痕を見つけ、つい笑みがこぼれる。さて、明日の朝の彼女の反応が楽しみだ。そんなことを考えていると、意外にも睡魔がクレフを襲いにやってきた。海と手を絡ませたまま、クレフはいつしか目を閉じていた。


***


「きゃあああ!!!」
「な……なんだ?!」
 突然の悲鳴に、クレフはがばっと身を起こした。
「どどど……どうしてクレフが私のベッドで寝てるのよ!」
 閨の中はすっかり明るくなっていた。薄いレースのカーテンから射し込む朝日を受けた海の髪が、まるで名前のとおり海のように輝いている。だがその輝きよりも目立ったのは、真っ赤に染まった彼女の顔の方だった。
 まさにゆでダコと化した海を見て、しかしクレフはぱちくりと瞬いた。彼女の今の発言は果たしてどういうことだろう。もしや憶えていないのだろうか。このベッドへやってきたのは、まさか無意識のうちの行動だったのか?
 その瞬間、クレフは妙案を閃いた。あえて気だるそうなしぐさでため息をついてみせると、横目に海をちらりと見た。
「何を頓珍漢なことを。おまえが私のベッドに寝ている、の間違いだろう。忘れたのか、ゆうべのことを」
「な……何よ、ゆうべって」
「鏡を見ればわかる」
「鏡?」
 クレフは壁を指差した。そこには楕円形の鏡が飾られている。海はその鏡とクレフとを交互に見て戸惑い気味の顔をしたが、やがて恐る恐る、といった様子でベッドから下りると、鏡のところへ歩み寄った。


「いったい何がわかるっていうのよ。こんなの、ただの鏡じゃな――」
 海の言葉は唐突に途切れた。彼女は自分の首元に手をやっていた。鏡越しに窺えば、海の顔色がみるみるうちに赤から青、そして白へと変わり、やがてまた赤へと戻っていった。
「な……ななななな……」
 このネタは当分使えるかもしれない。クレフは海から見えないよう、口元だけでにやりと笑った。
「ゆうべのおまえは、かわいかったぞ」
「!!!」
 ぱっとこちらを振りかぶった海が、熱帯魚のように口をぱくぱくと動かす。吹き出しそうになるのを堪えるのは、思った以上に大変なことだった。


 その後ささやかないたずらがばれたクレフはどうなったのか。それは読者の想像にお任せしたい。






いたずら 完




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