エピローグをお届けします。 前回もこの欄で書いたとおり、船の上での再会が本当のラストシーンなのですが、あまりにも突き放したラストであるだけに心配でした。 すっかりバカップルと化している(笑)レノスとセヴァンを見て、多少なりとも安心していただけたら幸いです。 いよいよ、本当のラストを迎えました。 皆さま、5年の長きにわたり、ご愛読を本当にありがとうございました。 皆さまの励ましと応援のコメントに鼓舞されて、ここまでやってくることができました。 しばらくのんびりして、新しい創作へと心を整えていきたいと思っています。 皇帝の奴隷について カラカラとの取引の結果、セヴァンは自分の身を売り、カラカラの奴隷となります。 最後のうんちくは、「皇帝の奴隷」(ファミリア・カエサリス)について。 ローマ時代の奴隷は、私たちのイメージする奴隷、たとえば19世紀アメリカ南部のアフリカ系奴隷とかなり異なっていることは、以前からお伝えしたとおりです。 彼らはまず、ある一定の期間働けば、解放奴隷となる希望がありました。解放されれば、それぞれの能力を生かして、巨万の富を得ることもできました。 もちろん、奴隷でいる間は、移動の自由もなく、主人に打ちたたかれ、ときには殺されるという危険もともないましたが(農園での奴隷の待遇は悲惨だったといいます)、そういう暴力は法律によって禁じられていきました。ローマ帝国は、奴隷・解放奴隷によって機能する国家となっていくのです。 ローマ帝国の社会は、ピラミッド型の階層構造でした。 一番上に皇帝とその一家、その下が元老院階級、それから騎士階級、地方の都市参事会会員、自由人、解放奴隷と続き、最下層が奴隷です。 しかし、このピラミッド型階層の中で特異な位置を占めていたのが、富裕な解放奴隷と、皇帝の奴隷と呼ばれる人々でした。 彼らは、階層身分は低いものの、経済力と政治力の上で、上層階級の一員に値するほどだったのです。 皇帝の奴隷の任務は、皇帝一家の世話係、宮殿のほか別荘や庭園の管理、帝室財産の管理、皇帝一家の服の仕立て、彫刻、銀細工などの手工業に従事する者など、多くはローマとその近郊に集中しています。 それ以外にも、帝国各地の上下水道、図書館、駅逓、街道、鉱山や採石場、貨幣鋳造など、帝国の根幹にかかわるインフラまでが、皇帝の奴隷・解放奴隷によって運営されていたといいますから、今の時代で言えば、「国家公務員」のようなものだったかもしれませんね。 さらに一部の者は昇進して、「寝室係」「引見係」といった、皇帝の腹心といえるほどの大きな権限を持つほどになっていくのです。 果たして、今のセヴァンのように密命を帯びて、諜報員のような働きをしていた皇帝の奴隷がいたかどうかはわかりません。 ただ、歴代の皇帝にとって、元老院や軍団長よりも、子飼いの奴隷のほうが決して裏切らない、気をゆるせる相手であったことは間違いないと思っています。 このページの拍手数:426 / 総拍手数:58313 |