walk on a tightrope/black


 彼らの日常の、ほんの1ページ。

「なあ、イヌイ」
「なあに、トラ」
「……これは、なんだ?」
 トラが震える手で指さすのは勢いよく黒煙を噴き上げる塊だった。よくよく見ればそれが何かを上に乗せたフライパンであることが分かる。その何かも完全に炭化してしまい、元が肉だったのか野菜だったのかですら定かではない。
「見れば分かるでしょ?」
「ああ、これはフライパンだ。だが俺が聞いてるのはそんなことじゃない」
「そんなこと言われても分かんないんだよぅ。哲学的命題について語り合うのは日々の労働で口を糊す庶民のやることじゃないんだよぅ」
「そうだな。一般的な市民だったら口を糊すだけであって、事実について糊塗はしないよな」
「そんなものは特権階級の幻想だよぅ。民衆を家畜扱いするならちゃんと愚かなままでいるよう教育しておかなくちゃいけないんだよぅ」
 限りなくブラックな思想をいけしゃあしゃあと語るイヌイを前に、トラは自分の中で膨れ上がっていくブラックな気分を必死に抑えた。救いを求めて見上げた天井すら煤でブラックになっている。
「……よし。事実を整理しよう。いいな?」
「いいよぅ」
「俺は家に帰ってきた。お前はお帰りと言った。フライパンは焦げていた」
「だいたいあってる」
「オーケー、それでだイヌイ。お前は一体全体何をしていたんだ?」
「料理」
「……よし。よしよしよし。ところでイヌイ、お前は炭を食うのか?」
「そんな無茶はしないよぅ。そもそも炭素を直接吸収したってエネルギー効率は悪いんだよぅ。そんなことはシリコン食べて増殖する異星生命体じゃないと無理だよぅ」
「俺は今すぐお前を星の生命力で焼き払ってやりたい」
「トラなら腹っていうより股間から白い液を発射しそう」
「お前な……俺をなんだと思ってるんだ?」
 それを口にした後でトラは自分のうかつさを呪った。自分が、この眼前の犬人に一番言ってはいけない類の言葉。案の定イヌイはすっと瞳を細め、嘲笑った。
「聞きたい?」
「……ごめん」
 じっと牙を噛み締め、トラは耐えた。
「謝らなくてもいいよ?」
 うかつなさっきの自分をぶん殴ってやりたい。当然そうすることもできず、トラはフライパンの片付けに逃げる。
「ねえ、トラ」
「……ああ」
「おいしい晩御飯、よろしくね?」
 その声はいつもの能天気なそれで、トラは煤が目に入ったわけでもないのに泣きたくなった。


「よし、イヌイ」
「なあに、トラ」
「……ついでだ。一緒に卵焼き作ろうぜ。教えてやるよ」
「えー? トラ上手なんだから作ればいいじゃないかよぅ」
「いいからお前も料理ぐらい覚えておけ」
「はーい」
 ふてくされたような声でイヌイはトラの横に並ぶ。手早く哀れな炭化物を処分したトラは冷蔵庫から卵を取り出し、慣れた手つきで器に割りいれる。三つ入れたところでイヌイが横から箸を突っ込んだ。
「混ぜる?」
「そうそう、混ぜる。零さないよう気をつけてな」
「了解です、トラシェフ」
「頑張ってくれよ、イヌイ見習い」
 珍しく殊勝な様子で敬礼するイヌイに苦笑し、トラは自分の掌を広げる。先程念入りに洗ったのだが、まだ肉球は黒く汚れていた。
 それもいいか、とトラは考えた。


 結局、ほとんどの工程はトラがやることになった。そのくせイヌイは味付けにだけ拘ったため、卵焼きはひどく中途半端な味になった。イヌイは目にもとまらぬ早業で自分の皿からトラの皿へとその卵焼きを移し替えている。文句を言う気力も失せたトラは黙々とそれを食べ続けた。


 彼らの日常の、ほんの1ページ。



拍手ありがとうございます。
長編二人組の日常をば。
ちなみに腹から何か発射するのは空飛んで火を吹く有名な亀です。
シリコン食べて増殖するのは新約聖書の一節より名前が取られた怪獣です。
トラとイヌイのかけあいは平成2本目の映画が元ネタですが、本編の内容には一切関係ありません。
ちなみに私は3が好きです。

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