この話では、「羨忘」のBL描写があります。
そのあたりが受け入れられる方は、お読み下さい。



陳情香炉(前編)





その日の夕方。

静室に帰ってきた藍忘機は、見た事の無い形の香炉が座卓の上で炊かれていることに気づいた。

「魏嬰、これは?」

藍忘機は、訝し気に眉をひそめると、部屋の真ん中に寝そべり、
行儀悪く天子笑を飲んで寛いでいる魏無羨に尋ねた。

「ああ、それ、街で行商人が、安く売っていたから買った」

「街の行商人が安く売っていた?いくらだった?」

藍忘機は、ますます目を険しくさせて、香炉を眺めた。

文献でしか目にしたことのない動物だったが、
香炉の形が「獏」を模っていることは分かった。

陶器の上に上等の釉薬。細工も丁寧で美しい。
しかも、傷一つない。

本来なら、魏無羨の答えた値より数倍はする代物のはず。

「…安い物には、安いなりの理由がある」

慎重な手つきで、香炉を持ち上げ、
見分している藍忘機に、魏無羨は軽く手を振った。

「俺もそう思って、何度も術をかけて試してみたけど、とくに仕掛けは無かった。
邪気や魔の気配も無いし、呪いの類も感じない。普通の香炉だ」

魔の術のスペシャリストの言うことに間違いは無い。というような魏無羨の発言も、藍忘機は懐疑的に受け止めていた。

そう言って、以前も、禁室に封印されていた「闇香炉」を勝手に使用し、さんざんな目にあった前科があった。

だが、たしかに香炉に不審な点は見つからない。

藍忘機は、吐息をつくと、すでに香が炊かれた状態の香炉を静かに座卓の上に戻した。

「愛嬌ある顔だろ?その香炉の動物。俺、何か一目で気にいって。
でも、買うかどうか渋る素振りを見せていたら、商人がさらに値引きしてくれるって言うから、即買いした」

戦利品を物にした過程を、魏無羨は藍忘機に得意げに語った。

魏無羨が街で売られている物で、酒や食べ物、魔道具以外に強い興味を示すことや、衝動買いしてくることは珍しかった。

藍忘機の趣味では無いものだったが、魏無羨がよほど気にいった物なのだろう。と藍忘機は思い、その夜は、香炉を座卓の上にそのままにしておくことにした。

しかし、この決断は、後に、静室の住人を多いに後悔させるものになった。

真に後悔したのは、魏無羨か、藍忘機か・・・。
それは、まだ数刻後の話となる。

ともあれ、

獏の形をした香炉は、その煙が消えるまで座卓の上で焚かれ、
魏無羨と藍忘機は、その香の中で、いつもの夜と同じように、寝所の中で愛を交わし合った。


やがて、魏無羨が藍忘機の裸の胸の上で満足気な吐息をつき、
藍忘機が、魏無羨の唇に、口づけを落とすと、それが、おやすみの挨拶替わりとなって、
二人は一緒に瞼を閉じ就寝した。


先に異変に気付いたのは魏無羨の方だった。

静室の寝所で、裸で眠りについたはずなのに、
衣服を着て、どこかの野外に立っている。

魏無羨は、横で、同じく衣服を着こんで立っている藍忘機を見やった。

「藍湛、俺達、いつ起きて、こんなところまで来たんだった?」

藍忘機は、小さくかぶりを振ると、周囲を注意深く見渡した。

見たことの無い景色。

周囲を山に囲まれた、見晴らしの良い平地。
しかし、雲深不知処では無い。

その景色の中で、ポツンと一軒家が見えた。

家はさほど大きく無く、見た目も質素だったが、どこか落ち着く佇まいだった。
家の庭もよく手入れされていた。
さまざまな果樹が植えられ、花壇には花も美しく咲き乱れている。

庭の中には蓮池もあり、そこに蓮の花も咲いていた。

魏無羨は、ふと違和感を覚えた。

木の果物は全部実をつけ、
春の花も秋の花も、季節に関係なく、咲いている。

しかし、この景色には、なぜか見覚えがある気がした。

…あれ、どこだったかな?

魏無羨は、首をかしげながら、藍忘機と一緒に家の方に近づいた。

家の横に小屋があり、魏無羨は、そこで見知った動物を見つけた。

「藍湛、小林檎だ。小林檎がいる」

小屋の中で、ノンビリと大量の林檎を食していたのは、
間違い無く、魏無羨の飼い驢馬の小林檎だった。

しかし、そこにいたのは、小林檎だけではなかった。

小林檎の傍らに別の驢馬が一匹。その横に小さな驢馬も1匹。

「小林檎の番(つがい)と、子どもか?」

魏無羨は、小林檎にそう声をかけたが、
小林檎はまるで魏無羨が見えないかのように、一心不乱で林檎を食べていた。

しかし、普段の小林檎の態度も似たようなものだった為、
魏無羨は、とくに不思議に思うことなく、その場を離れた。


「藍湛、ここ、何か変だ。俺たち、幻惑にかかってるのか?」

「いや、幻惑では無い。だが、現実でもない」

「…って、話をしている藍湛は、本物か?」

「本物だ、と言ったところで、その答えの真偽を君はどう確かめる?」

「ああ、うん。本物かどうかは分からないけど、そのもの言いは、まさに藍湛だ」

魏無羨がコクコクと納得したように頷いた。

「状況を整理しよう」

魏無羨は、藍忘機と一緒に家の庭の中で立ち止った。

「まず、俺達は、いつものように寝所でイイことした後、一緒に眠っていた。
なのに、目が覚めたら、どこか知らない場所に立っている。
寝ている間に何者かにさらわれたって線は無さそうだ。
幻惑でも無い。だとしたら、これは、リアルな夢を見てるってことになる」

「二人一緒にか?」

そう問う藍忘機に魏無羨が頷いた。

「そう。俺も本物の意識で、藍湛も本物だったら」

藍湛は、伏し目になって少し考えこんだ。

「人間の潜在意識は、深い所で皆つながっていると、書物で読んだことがある。
その潜在意識の集合体である夢の中では、互いの意識を共有できることも・・・」

「…藍湛。知識や理論の話をすると饒舌になるってところが、
本物の藍湛だっていう証明かもしれないけど、今は説明しなくていいよ。
そういうのは弟子達の講義でやってくれ」

魏無羨の言葉に藍忘機が口を閉じたように見えた。

だが、藍忘機が無言になったのは、別の理由だった。

魏無羨と藍忘機の視線の先に、ちょうど家の門をくぐって入ってくる者があった。

魏無羨は、その人物の姿に息をのんだ後、藍忘機の服の裾を手でひっぱった。

「藍湛、藍湛。俺だ。あれ、俺にそっくりだよな?」

家に入ってきた人物は、魏無羨と、瓜二つの顔と姿をしていた。

しかし、着ている服装は、変わっている。

髪をまとめた帯は、同じ赤色ではあったが、
飾り気のない綿の衣服に、麻の上着とズボン。
猟師と農夫の作業着を合わせたような、いでたち。

よく見ると肌も、よく日焼けして浅黒かった。

「美形顔は俺と変わらないけど、精悍さは、あっちがちょっと増してるかな?」

驚きよりも、そんなところを注視した魏無羨の問いかけにも、藍忘機は口を閉じたままだった。

魏無羨にそっくりな男は、左手には、まるまると太った鳥をぶらさげ、
右手には、大きな魚を2匹括り付けた棒を、肩を支柱にして持っていた。
そして、背負った籠の中には、白菜が入っている。

魏無羨とそっくりな男は、魏無羨と藍忘機のすぐ横を通り過ぎたが、
二人に全く気付いていない様子だった。

男が通り過ぎた時、聴こえた鼻歌に、魏無羨と藍忘機は顔を見あわせた。

男が歌っていた鼻歌の旋律は、「忘羨」だった。

…どういうことだ?

魏無羨と藍忘機が、家の戸口を叩く、男の後ろ姿を見つめていると、
戸が開き、中から人が現れた。

魏無羨と藍忘機は、再び驚愕した。

家の中から出てきたのは、藍忘機とそっくりな男だった。

綿と麻を素材とした白い衣服は、凝った刺繍もなく、素朴で、
頭の冠も、簡素な造りのものだった。

それにも関わらず、藍忘機とそっくりの男の美しさは、
魏無羨の横にいる藍忘機と比較しても、寸分損なわれていない。

ただ、額に、抹額が無いのが、明らかな違いだった。

魏無羨は、隣の藍忘機と、家の戸口に立っている藍忘機そっくりな男を交互に眺めた。

魏無羨とそっくりな男が「ただいま、藍湛」と言った。
それに対して、「おかえり。魏嬰」と言った藍忘機とそっくりな男。

二人の声質も、魏無羨と藍忘機とそっくりだった。
しかも、名前までも。

魏無羨は、しばし、考え込み、鼻の横を指でちょいちょいと撫でた。

そして、顔を上げると、「分かったよ。藍湛」と言った。

「これ、現実のような質感があるけど、やっぱり俺達が見ている夢だ。
この夢の光景には、俺、心あたりがある」

「君の心あたり?」

不思議そうに問う藍忘機に、魏無羨が頷いた。

「俺が、一時期、夢見ていた光景。いや、頭で思い描いていた夢っていうのかな。
心の中の願望が具現化してる夢だ」

「では、これは、君の夢か?」

「おそらく。それを藍湛の意識と共有して、今見てるってことになる」

「…もしや。君が買ってきた、あの香炉の影響か?」

藍忘機は、魏無羨と同じ考えを口にした。

「たぶん…」

魏無羨は気まずげに首をすくめた。

結局、「闇香炉」と同じことを繰り返してしまっていた。
今回の夢は、「闇香炉」と違って、今のところ、ほのぼのしたものではあったが。

「これが、君の願望?」

藍忘機は、家の前で仲睦まじい様子で会話を続けている、二人の男に視線を向けた。

魏無羨は、ますます気まずげな顔になって、首筋を手でかいた。

「これは、俺がまだ雲深不知処に来る前、思い描いていたことだ。
二人で、闇狩りしながら、旅を続けて、その後、どこかの土地に落ち着いて、一緒に住むという。
…藍湛から仙督になるって話を聞く前に見ていた夢」

「魏嬰…」

名を呼び、藍忘機が何か言いかける前に、魏無羨は慌てて手を振ると言いつくろった。

「いや。以前の夢だ。何となく、こんな未来を思い描いてたってだけ。
それも、まだ俺が目標や夢を定め切れていなかった時の。今の願望じゃないからな」

そう藍忘機に言いながらも、魏無羨は、
夢と認識した、自分と藍忘機の姿に、羨望のような眼差しを向けた。

二人とも、とてもリラックスした姿だった。

抹額が無く、仙督業からも離れているらしい藍忘機には、張り詰めた空気が無い。
外で体を動かして働いて帰ってきたらしい魏無羨は、闇狩りとは違う心地よさげな疲労感を漂わせている。

今の自分たちとは違う生活だったが、二人はとても満ち足りているように見えた。

…いや、この生活にも、それなりの悩みや苦労があるかもしれない。
俺が以前妄想してたことだから、いいところしか見えていないだけで…。

魏無羨がそう考えていると、
夢の魏無羨が「先に、一緒に風呂に入ろう」と、夢の藍忘機に言った。
そして、家の裏手の方に、二人で連れ立って歩いていった。

魏無羨は、横に立っている藍忘機と視線を合わせると、夢の二人の後を追った。

家の裏手には、家よりも広い敷地をつかった屋根つきの露天風呂があった。

風呂桶は、木製に見えたが、静室で使用している物より大きく、
さらに、簡単に壊れなくする術までかかっている。

この家の中で、魏無羨の願望が一番如実に表現された場所だった。

「すげえ。俺の風呂に対する願望、そのままだ」

そう感心する魏無羨に、藍忘機が「こういう風呂が良いのか?」と尋ねた。

「では、静室の風呂もそうしよう」

「いや。藍湛。これは、あくまで夢の話だ。
それに、静室の物置に置くには、ちょっとかさ張るから、今のままでいいよ。
…だけど、術をかけて風呂桶を強固にする案は良いな」

現実で、二人一緒に入浴し、風呂を破壊したのは、まだ記憶に新しかった。

魏無羨と藍忘機の目の前で、
夢の魏無羨と藍湛は、一緒に風呂湯の準備を進め、
互いをいつくしみ合っている雰囲気を見せていた。

夢の二人には、こちらは見えていない。
本当に、二人だけの世界を、ほのぼのと堪能している。

魏無羨は、見ているだけで、心が和む光景にうっとりとなっていた。
横にいる藍忘機の顔を覗き見ると、同じ気持ちなのか、やわらかな表情になっている。

魏無羨は、そろそろ夢が終わるような気がしていた。

この夢が、雲深不知処に来る前に魏無羨が心に思い描いていた光景なら、風呂に入る前に終わるはずだった。

しかし、夢は、二人が衣服を脱ぎ、
共に、手桶の湯を互いの体に掛け合うというところまで続いた。

そこで、そのまま風呂に入っても、「盟友」の二人のはずだった。

しかし、夢の二人は、現実の魏無羨と藍忘機が目をむく光景を繰り広げ始めた。

夢の藍忘機が、夢の魏無羨の前にかしずき、魏無羨の下腹部に顔を寄せると、口を開いた。
そして、夢の魏無羨の“もの”を咥えると、手を添え、唇と舌で愛撫を始めた。

唖然となった魏無羨と、呆然となった藍忘機の前で、
夢の二人はごく自然で当たり前の体で行為を続けていた。

「すげえ、いいよ。藍湛」

夢の中の魏無羨が、自分の“もの”を口で愛撫している藍忘機を、尊大な態度で見下ろしていた。

「今日1日中、“俺の陳情”は、藍湛を恋しがっていた。じっくり可愛がってくれ」

…『俺の陳情』!?

魏無羨は、夢の魏無羨の隠語の意味にすぐに気づいた。
そして、すぐに不満げな顔で唇を尖らせた。

「陳情って…。まあ、表現としては的確かもしれないけど、
俺のあそこは、本物の陳情よりもっと・・・」

そこで魏無羨は口を閉ざした。

隣から、冷気が流れてくるのを感じた魏無羨は、そっと顔を横に向けた。

現実の藍忘機が、魏無羨に冷ややかな眼差しを向けていた。

「あ、うん。そんな問題じゃないよな。おかしいな~。
何やってるんだ?夢の中の俺と藍湛」

「…雲深不知処に来る前、君はこんな願望を持っていたのか?」

誤魔化すように頭をかいている魏無羨に、藍忘機は冷静に問うた。

「いや。変だな。こんなこと全然、想像したこと無かったけど」

魏無羨は本気で首をかしげながら、夢の二人に再び目をやった。

恋人関係になってからの魏無羨と藍忘機は、夢の二人と同じような行為を何度もしていた。

だが、雰囲気が全然違う。

夢の魏無羨は、どこまでも偉そうで、
対して、夢の藍忘機は、そんな魏無羨にどこまでも従順だった。

「ああ、もっと吸ってくれ。そうそう。上手だな。藍湛。
“俺の陳情”を上手に奏でることが出来るのは、藍湛だけだ」

そう言った夢の魏無羨の言葉に、夢の藍忘機が嬉しそうな笑みを見せた。

現実の藍湛からは、めったに見られることの無い微笑だった。

はたから見ていると、色っぽい光景ではあったが、
それを繰り広げているのは、自分たちとそっくりな男達。

それも、いつもと立ち位置が逆転しているような二人。

夢の藍忘機の表情とは真逆に、現実の藍忘機の唇は固く引き結ばれていた。

そんな藍忘機の横で、魏無羨は、

…夢の俺。さっきから、真面目な顔でふざけた隠語ばかり使ってる。

と、感心しながら、面白そうに、二人の観察を続けていた。

しかし、夢の中の魏無羨の言動は、
次第に現実の魏無羨が想像していなかった所まで及んでいった。

ようやく、夢の魏無羨が、藍忘機の口から“陳情”を離すと、
藍忘機を促して風呂桶に一緒に入っていった。

ここで、ひと段落すると思いきや、夢の魏無羨は、先ほどの続きを藍忘機と始めた。

風呂桶は木製で、湯につかっている二人の体は隠れているはずなのに、
何故か、魏無羨と藍忘機には、その中まで透けて見えていた。


「なめらかで、美しい肌だ。藍湛」

湯の中で、魏無羨が藍忘機の全身を手で弄ぶように撫でまわしていた。

「体を愛されると、肌が綺麗になるらしい。
藍湛の体は、俺が毎日愛してるから、こんなに美しいんだ」

魏無羨の言葉に、夢の藍忘機が恥じるように小さく俯いた。

夢の魏無羨の愛撫の手は、さらに藍忘機の体の下方に伸びた。

「藍湛、仙剣は毎日、しっかり磨いておかないと駄目だ。
藍湛の、こっちの仙剣は、俺が毎日手入れしてやるよ」

「こっちの仙剣…?」

魏無羨の愛撫で恍惚としているせいか、
何のことか、すぐに分からずにいるような夢の藍忘機に夢の魏無羨がニヤリと笑った。

「避塵じゃない。藍湛の体の、ここにある藍湛自身の仙剣、“湛湛(ジャンジャン)”」

…ぶっ!!

魏無羨は、思わず、夢の中の自分のセリフに盛大に吹いた。



(後編に続く)

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